こんばんは。まつながです。
東日本大震災から13年が経った本日ですが、みなさんもさまざまな思いに駆られたのではないかと思います。私はこの当時、福岡に住んでいたため、実際の大変さや状況についてはあまり知りません。ですが、母がたの親戚が福島に住んでいたので、親戚に電話で状況を時折聞いていました。
遠回りについて
そう、毎日NHKの情報番組「あさイチ」を視聴しているのですが、今日は震災特集でした。震災当時からかなり月日は経っているので、被災された方の13年間の歩みについてのお話をまとめていました。
朝の支度をしながら観ていた中、心に打たれた一言がありました。
それは、中学生のときに被災した女性の特集をしていた中の一言でした。この方は、震災をきっかけに、辛さを隠すように心を閉ざしてしまい、専門学校中退や引きこもりなどを経験。その後は、親御さんや親戚の助けなどもあって無事に社会生活に復帰し、今ではお子さんを育てているそうです。
その様子を、震災後からずっと見守ってきた女性のお母さまがこう振り返っていました。
「きっと、その子にとっては必要な遠回りだったと思う」
この一言を聞いた時、私が生活してきた13年間は、思春期特有の辛さや悔しさなどもあり、正直「長かった」と感じていました。きっと、周りの人たちにとっては軽く乗り越えられるものを、遠回りしてしまっているなぁ、とか。ですが、「青い芝生」のように見えている人たちも、きっと私が経験していない遠回りがあったのかもしれない。
直線距離でゴールすることを望まれると思う機会は多い。今回の女性も、震災当時は「早く立ち上がらないと」と焦りの中からきっと、あのときは「心を閉ざす」という選択に至ったのかもしれません。
でも、直線距離が望まれているわけではなくて、自分のルートがたとえ遠回りだったとしても、そのルートを歩む以外に選択肢はないのかもしれない。そう思うと、一種の諦念というか、「これでいいのだな」と受け入れることができるのかな、と。
名刺を作りました。
見出し通り、名刺を作成しました。会う方々に、少しでもこのサイトを見てもらえたら、と思いまして。
名刺を作っている間、やはり大学卒業後の進路について悶々としていました。一時期、就職活動をしていて、「なりたい姿」と、「実際にお金を得るために、一時的になるべき姿」との擦り合わせがうまくいかずに、止めてしまいました。
就職活動をするとき、辞めるとき、ライターとしてお金を貰いたいと思ったとき、このウェブサイトを立ち上げるとき。これらの決心するとき、私には勇気が必要でした。
ときどき、流れに身を乗せたらこの位置にいた、という方もいるので、そんなことを聞いた時は、すごく羨ましいと思ってしまいます。たとえば、アイドルの事務所に、家族が勝手に履歴書を送った、というエピソードを聞いたときは、なんとなく、なるべくしてなった、というスター性が羨ましい。
そんなスター性もない私ですが、「ライターを生業としたい」と思ったのは、これまで経験してきたものが積み重なった結果だと思っています。その経験をするために、当時選択した自分は、清水寺から飛び降りるくらいの勇気を、毎回携えたのだと思います。
そう考えると、積み重ねた勇気が、いまの自分を構成してきたのではないかと。
今日作った名刺を、誰かに渡すときも、きっと勇気が必要な気がします。その勇気が、これからの時自分を作るんだ、ということを信じて、明日は印刷しようと思います。
今日はここまで。おやすみなさい。
名刺は、こんな「くも」ばかり入れました。