サンティアゴ巡礼。それはキリスト教三大聖地の一つ「サンティアゴ・コンポステーラ」の大聖堂を最終地点とし、敬虔なクリスチャンが自身の信仰と向き合うために、仕事を捨て、日常生活からも離れて、歩いていくもの。1200年の歴史を持つが、現在はクリスチャンだけでなく、世界中の旅愛好家や人生に悩む人々が、この道を歩く。 この連載では、そんな巡礼を「大学生最後の旅行」と題して訪れたまつながが、膝を痛めたり粗食に魅了されたり、はたまた24歳なりの悟りの一部を開く顛末を描く。(毎週金曜更新)
そういえば、今日はバレンタインデーだった。今年ばかりは、バレンタインデーなんてこれっぽっちも頭になかった。
スペインへは、15日の深夜、羽田発で向かう。前日の14日は、ほぼ準備で1日が終わった。巡礼中は、ずっとリュックを背負うため、これはいるのか、いらないのか、などの準備物に対して、何度も問いかけた。
準備が終わり、羽田空港へ向けて出発する。出発当時、親はもちろん妹にさえも、スペインに2週間も滞在する目的が、巡礼であることは伝えていない。ただ、家には2週間ほどいないことと、目的地がスペインであること、荷物は最小限で行くこと、この3つだけを伝えた。心配性の家族が、巡礼について知ってしまったら、行く直前でさえも止められそうで、言うことができなかった。当然、伝えた情報が極端に少ないため、「せめて位置情報アプリを入れてくれ」と言われたのだが、一旦無視することにした。
日本からスペインまでの航路は、成田からドバイまで行き、乗り換えてドバイからバルセロナへ。ドバイを経由するということは、旅玄人の方なら、きっとわかるだろう。エアラインは「エミレーツ航空」である。久々の外資系エアラインに乗るので、機内食はどんな感じなのだろうか、CAさんたちはやっぱりラフな接客なのだろうか……とあれこれ好き放題想像しては、心が躍る。私は、旅の中でもっとも、と言っていいほど、移動が好きだ。
羽田空港へは、山手線で品川駅まで行き、京急で向かう。出発した時間が、退勤のラッシュアワーに被ってしまい、重たいリュックが邪魔になる。周りの乗客に対し、少々申し訳なさも感じてはいたものの、「私は今から非日常空間に行くのだ」という優越感に浸っていた。
……とは言ったものの、それ以上に、非英語圏の国に行くときの緊張感が上がり始めていた。スペインで、スマートフォンの電源残量が切れてしまったら、ギャングに襲われてしまったら、お金が無くなってしまったら、生き埋めにされたら、など、言語が通じないことによって生じるあらゆる心配ごとが私を襲ってくる。”非英語圏で”とは書いたものの、英語が話せるかと言われたら、そうではなくて、ハンドジェスチャー込みで会話しようと努力してしまう程度には話すことができないため、たとえ英語圏に行くとしても、緊張の波に襲われるだろう。
いままで数少ない旅経験の中で「コミュニケーションはハート同士の掛け合い、これが命」と思ってやっつけで乗り切ってしまったところがあった。その度に、英語はきちんと勉強しないといけない、という毎回同じような反省をしては、日課の散歩中にラジオ英会話を聴くくらいの努力しかしていない。だが、そのラジオ英会話も「ハートで掴め!」なんて毎回言っているものだから、それを盲信してしまう。
一旦不安になってしまうと、ブワッと、不安の波が押し寄せる。先ほどまでの「外資系エアラインに乗れる!」というワクワク感で心踊ったのに、退勤ラッシュで疲れたビジネスマンを見て「非日常に行く」という優越感に浸っていたのに、これらの感覚がいつの間にか消えていた。それに対比して、不安の量はとてつもないほど大きくなっていった。できるだけ軽量化しようと努力したリュックが、私の肩に、ドシっと沈む。鉛のように。
そして、私の腸も正直なようで、グツグツ動き続けている。実は2日前からお腹を下しており、頭で自覚する以前から身体は、緊張しているようだった。
リュックの中には、自宅の救急箱からひったくってきた正露丸が、出番を心待ちにしている。旅行だけでなく普段から「お腹を壊したときのための」、精神安定の意味もこめて、ストッパを持ち歩いている。だが、ストッパを服用すると喉がびっくりするほど乾く。向こうの土地で、仮にストッパを飲んで、その後喉が乾いても飲用水がなかったらどうすれば良いか。この不安から、今回は一度も飲んだことがない正露丸を心の支柱にすることに決めた。
どうして、サンティアゴ巡礼なんてしようとしているのだろう。あの年末、どうして「ここにいけば、何かが変わるかもしれない」と簡単に”何か”求めてしまったのだろうか。たった2週間のスペイン滞在で、何が変わるのだろう、何を期待していたのだろう。過去の自分に泥を擦りつけるように、後悔をした。
後悔が頭から離れない中、羽田空港に到着した。友人と待ち合わせ、出国審査を通過。「まあ、なんとかなる」と必死に言い聞かせ、スペインへと向かった。
(次回へつづく)