第3回:貝殻とともに出会ったのは、未知なる言語だった

サンティアゴ巡礼。それはキリスト教三大聖地の一つ「サンティアゴ・コンポステーラ」の大聖堂を最終地点とし、敬虔なクリスチャンが自身の信仰と向き合うために、仕事を捨て、日常生活からも離れて、歩いていくもの。1200年の歴史を持つが、現在はクリスチャンだけでなく、世界中の旅愛好家や人生に悩む人々が、こぞってこの道を歩く。
この連載では、そんな巡礼を「大学生最後の旅行」と題して訪れたまつながが、膝を痛めたり粗食に魅了されたり、はたまた24歳なりの悟りの一部を開く顛末を描く。(毎週金曜更新)

今回は、「サリア」という場所から最終目的地のサンティアゴまでの道のり113kmを、6日間かけて歩いていく。出発場所のサリアに行くまで、日本出発日から数えて、おおよそ3日ほどの時間を要した。具体的には、バルセロナに到着後、サンティアゴまで飛行機で1時間。サンティアゴに着いても、バスを2本乗り継いで、やっとサリアに到着する。

そして、このたび歩くコースは、「フランス人の道」。本来は800kmの行程で、ピレネー山脈を超え、自然の中でひっそりと佇む小さな町を横目に練り歩く。しかし、800kmを歩くのは並大抵のことではなく、車など文明の力を当たり前のように使用する現代人からすると、800kmを歩くのはよほど敬虔な信仰者か、あるいは変人とも言えるだろうか。

ということもあり、現在、サンティアゴ巡礼者の7割近くは、距離証明書がもらえる基準の100kmに近い地点からスタートするそうで、私も例外なくその1人となる。だが、たった100kmの道のりとはいえ、疲れるのは明らかだろう。さらに日本と時差が8時間あるため、慢性的な運動不足の私からすると、出発前から疲れていたことは否定できない。

私と友人は、午後2時にサリアに到着した。到着後、今夜宿泊するホステルにチェックインした。

予定よりも少し早めに到着したため、散歩や明日からの巡礼に向けての買い出しをする。やはり巡礼者の7割がこのサリアからスタートするだけに、ホステルやアルベルゲ(巡礼者のための簡易宿泊所)が50m毎に点在する。これ以外にも、レストランやスーパーがあるなど、この土地にいるだけで一生を終えることができそうなくらい、生活インフラが充実していた。

この日は土曜日ということで、子連れ夫婦や老夫婦などが多い。この日の最高気温は18度ほどで、洗濯物もほんの数時間外に干しただけでも乾きそうだった。私たちは、サリアの中心にある教会で初めのスタンプを押そうと思ったのだが、閉まっていた。どうやら教会が開く時間は正午・夜と決まっているらしい。夜に改めて行くことにした。

教会の近くを歩いてみる。何度かすれ違った、空いているか空いていないかはっきりしない店がかなりの数を占めていた。2月はオフシーズンということで、多くのアルベルゲは休業していた。

その中で、巡礼者の証となる「ホタテの貝殻」を売っているお店を見つけた。お店の扉は半開きで、店内は暗いが、中には店員のおじいちゃんらしき人物が新聞を読んでいた。そういえば、ホタテの貝殻を買っていなかった。ちょっと欲しいのかもしれない。だが、きっと英語なんて通じないし、通じたとしても話が分からなさそう。しかも、相手はおじいちゃん、滑舌がそもそも悪いのかもしれない、アジア系の若造が声をかけたところで、きっと無視されるのだろうか。話したこともないスペインのおじちゃんに対して失礼なことを思いながら、勇気を出して「オラ!」と店の外から声をかけてみた。

すると意外にも「オラ!」とにこやかに手招きしてくれた。入れ入れ、と。

そこで、このサンティアゴ巡礼について、バルや教会に言ったらスタンプを押してもらえる、とか、今日は教会が18時くらいに開くぞ、とかアドバイスをくれた気がした。”気がした”というのは、要は何を話していたのかが頭の中で翻訳できなかった。おじいちゃんの話す言葉がスペイン語の上に、サンティアゴの方言も混ざっている。でも、なんとなく言っていることは分かるような“気がする”。こんなとき、NHKのラジオ英会話で、毎回「ハートで掴め!」という毎回聞く文言を思い出す。そう、言語は単なる道具にほかならず、究極のところ、相手の仕草や動作を見ながら、何を言おうとしているのかを「感じる」ことが真のコミュニケーションである。

お店を後にするとき、おじいちゃんは「ブエンカミーノ」といって、投げキスをした。ブエンカミーノ、「良き巡礼になるよう」という意味だ。これから進む道が、誰かの祈りが込められたものであることを、ほんの少しだけ、理解した。

その後、また周辺をブラつき、夜になり教会のミサに参加した。ヨーロッパのキリスト教においても、高齢化が著しいらしく、ミサに参加する地元のクリスチャンもほとんどが高齢者で、あとは私たちと同世代のカップルと、50代の夫婦がいたくらいだった(いずれも巡礼者だろう)。どこのコミュニティも「高齢化」の点については共通事項なのだろうか。

ミサが終わったのち、教会で出発のスタンプを押し、夜ご飯。明日から、巡礼を開始する。

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