サンティアゴ巡礼。それはキリスト教三大聖地の一つ「サンティアゴ・コンポステーラ」の大聖堂を最終地点とし、敬虔なクリスチャンが自身の信仰と向き合うために、仕事を捨て、日常生活からも離れて、歩いていくもの。1200年の歴史を持つが、現在はクリスチャンだけでなく、世界中の旅愛好家や人生に悩む人々が、こぞってこの道を歩く。 この連載では、そんな巡礼を「大学生最後の旅行」と題して訪れたまつながが、膝を痛めたり粗食に魅了されたり、はたまた24歳なりの悟りの一部を開く顛末を描く。(毎週金曜更新)
いよいよ、サリアから巡礼を開始した。
6時ごろに起床し、ホステルにて、昨日の散策時に寄ったスーパーで買ったパンを食べて、出発した。
サリアの朝は寒い。冷たい空気が程よく肺を刺激してくれる。
サンティアゴの巡礼路には、詳しい道を記した地図がない。では、どうやって進むのかというと、道端に出現する、青い背景にホタテのマーク・黄色い矢印が描かれた石碑が道標となる。これを頼りに歩いていく。
アスファルトのように舗装された道ももちろんあるのだが、多くは木の枝や細かい石ころが無造作に落ちている、舗装されていない道。道標があるのはもちろんだが、1000年以上前から歩いてきた人たちが踏み潰してくれたおかげで、道ができた。未来の私たちは、先人が開いたこの道を辿るだけだ。
歩いて2キロほどに、現在使われているかわからない線路や、巨大な高速道路を見かけた。地元の人たちが犬の散歩を連れているのが遠くから見えた。朝空は曇り模様だったが、だんだんと太陽が出てきた。寒い朝に着込んでいたインナーダウンが邪魔になり、脱いでリュックに入れる。
そして、山道が現れる。これまで高尾山のみの登山経験だった私には、山道というよりかは壁のように急な坂だった。山道で苦戦している時、私よりも2回りも年上らしき巡礼者に、先に越された。巡礼者に会うのはこれが初めてで「ブランカミーノ」とは言わず、まずは「オラ」という挨拶をしてみた。当然ながら、「オラ」が返ってきた。巡礼者の中には犬と一緒に歩いていた人もいた。
急な上り坂の山道をなんとか切り抜けると、だだっぴろい草原が現れた。山道には木々のせいで空が見えなかったが、気づけば午前10時、空はいつの間にか青空になっていた。寒い朝に着込んでいたインナーダウンが邪魔になり、脱いでリュックに入れる。
今日は1時間に1回ほど休憩を入れることにした。10kg近くの重いリュックを地面に投げ捨てるように降ろすと、体が一気に軽くなった。ああ、リュックさえなければすぐにでも駆け出して目的地まで行けるのに。お昼は、レストランと一切すれ違わなかったため、朝食の残りを食した。
昼食を食べながら、台湾からきたらしい家族4人組が、先へ行く。夫婦と、兄、妹、といったところか。「オラ」と声をかけてみると、返事がきたものの、子供たちはなんとなく気だるそうに歩いていた。お父さんは家族の後ろで、なぜか重そうなキャリーケースをひきづっている。お母さんだけがはつらつとしていた。
家族で遠い地で巡礼か。子供たちはどうやって言いくるめられて遠いサンティアゴまでやってきたのだろうか。そして、なぜお父さんは足場が悪いにもかかわらず、キャリーを持ってきているのだろうか。
昼食後、ひたすら歩く。牧場とすれ違うことが増えた。巡礼路は、牛や羊が歩きながら出したであろう糞と泥が混じって、なかなか臭い。だが、人間の鼻は敏感な一方で慣れるのはいち早く、私の鼻も糞の匂いには少しずつ鈍感になってきた。
それにしても、次の街までが遠い。試しにGoogle MAPを開いてみると、Googleさえも把握しきれていない、大地を歩いているようだった。もちろん自分が位置する青印以外には、何もない。日本であれば、どんなに小さな町のお店であっても、1、2件くらいは口コミがあるのに。Googleがこの地球上に留まっているすべての建物や道を網羅していると思ってはいたのだが、アメリカの巨大テック企業Googleでさえこの巡礼路に入り込めていないようだった。もしかして、私が歩いているこの道は、世界的にみるとマイナーなものなのだろうか。
思い起こせば、この巡礼路にいく直前に、慌てて近くの図書館で「サンティアゴ巡礼」とデータベースに検索をかけて、該当する書籍で勉強しようと試みたのだが、びっくりするほどヒットしなかった。引っかかったのは、ほとんどが小説の一部分で登場するか、あるいは一昔前のブログにありそうな体験記録だったくらいだ。あとは、パウロ・コエーリョの「星の巡礼」という海外小説くらいである。地球の歩き方でさえも、ほんの2ページに特集されていたのみだった。
しかし、旅直前に慌てて入れた知識は、今のところ役に全くたたない。というより、思い出すだけの脳の体力や余裕は、午後2時を過ぎると、すっかりなくなっていた。遠い。果てしない。
そして、私の意識は足元へ移る。気づけば足指の付け根部分が本格的に痛み出した。膝も痛い。何より、踵の痛みが今までに感じたことのないものだった。一歩一歩進むごとに、骨が踵の肉をえぐるような、貫通するような痛み。
とにかく、早く着いてほしい。だけど、次の町が見えない。いつまでこの道が続くのだろうか。痛みに耐えながら歩くと、当然ながらペースも落ちていく。この前まで後ろで歩いていたおじさんたちがどんどん追い越す。悔しい。
そして午後4時、大きな川にかけられた橋を渡り、今夜宿泊する場所である「ポルトマリン」に到着した。
ホステルにチェックイン後、すぐさまシャワーを浴びた。小学校の運動会が終わったあとに、家で浴びたシャワーのように、気持ちがよかった。足の裏をみると、真っ赤になっていて、熱を持っていた。小指や指の付け根に小さなマメもあった。
明日も今日と同じ距離を歩く。きっと、マメはもっと成長するだろう。