第5回:このカミーノは、私には準備されていなかったのかもしれない。

サンティアゴ巡礼。それはキリスト教三大聖地の一つ「サンティアゴ・コンポステーラ」の大聖堂を最終地点とし、敬虔なクリスチャンが自身の信仰と向き合うために、仕事を捨て、日常生活からも離れて、歩いていくもの。1200年の歴史を持つが、現在はクリスチャンだけでなく、世界中の旅愛好家や人生に悩む人々が、こぞってこの道を歩く。
この連載では、そんな巡礼を「大学生最後の旅行」と題して訪れたまつながが、膝を痛めたり粗食に魅了されたり、はたまた24歳なりの悟りの一部を開く顛末を描く。(毎週金曜更新)

スマートフォンを確認したら、午前5時30分だった。そういえば、今、日本は何時だろうか。おおよそ8時間先に進んでいると考えると、お昼ごはんを食べたあと、くらいだろう。

巡礼2日目を迎えた。昨日はあまりお腹が空いていなかったため、無理やり入れたタコ料理のせいで、胃もたれがなんとなく引きずっていた。足を確認してみると、昨晩念をいれて貼ったサロンパスが、あまり効いていなかった。とくに左のふくらはぎの奥深くに鈍い痛みがある。足の裏はというと、昨日、ほんの小さくできたマメが、相変わらず「ここがオレの場所だ」と言わんばかりに、堂々と佇んでいる。これ以上マメができないように、日本から持ってきたインソールを、靴に入れてみた。

朝は、昨日寄ったスーパーで買った、パンを食べた。朝食はあまり美味しいと感じないのだが、疲れが溜まり、空腹感を覚える昼に食べると、不思議と美味しいものではある。でもやはり、いまはあまり美味しくないが。

午前9時に出発した。序盤に大きな坂があり、鈍く痛むふくらはぎを気にしながらのぼる。上りを終えたと思ったら、今度は下る。

一連の坂の終着点につく。近くにあったベンチで、出発前に靴に入れたインソールが苦しくなっていたので、外した。そのベンチの向こうには、昨日見かけたおじさんがタバコをふかして休んでいた。手を振って挨拶をされたので、振りかえす。

再び歩く。だれも歩かないような道なき道を、歩く。途中、Windowsの昔のデスクトップや初期のAndriodのホーム画面にありそうな風景を見かけた。

お昼はサンドイッチを販売しているお店で、フランスパンのような硬いパンに、生ハムとナチュラルチーズを挟んだサンドイッチを注文した。このお店は、巡礼者向けに開かれているらしいが、オフシーズンは私ら以外にお客は誰一人いなかった。たった独りで切り盛りしている店主のおじさんをなんとなく逞しく思う。

午後も歩き続ける。今日の天気は気持ちの良いほど晴れ。太陽の光は少々痛く感じるが、風が少し強いせいでジャケットを脱ぐか悩む。昨日と変わらず、このサンティアゴの道も牧場に近いらしく、相変わらず牛や羊の糞の匂いのする空気を吸い込まないといけない。

ところが、こんな匂いも気にすることができないくらい、足が本格的に痛み出した。そもそも日本を出国する前に一切トレーニングなどをしていなかったため、いきなり20kmの、しかも不安定な道を歩くことには無理があるのは当たり前だった。一歩を踏み出すのが苦しい。痛いが、歩かないと休むことができない。痛みを堪える。

今日のゴールまであと30分。ずっと後ろにいたらしい欧米系男性三人組と老夫婦に「オラ!ブランカミーノ〜」と言われ、簡単に追い抜かされた。

ムクムクと、追い抜かした彼らに対する憎悪がよぎる。日本においても低身長という扱いを受ける私からすると、私の肩くらいまで足がある彼らが憎く、自分にはビハインドを持っていることをまじまじと思い知らされている。足の痛みが、余計に悔しい気持ちを冗長した。

できたら、もう一度彼らの前にいきたい。追い越したい。

そう思って、無理して歩幅を大きくすると、

「ビリっ」

と、足の裏で何かが引き裂かれる感覚があった。この感覚があって、2歩ほど進んだ時は、とりあえず無視しようと思ったのだが、3歩目で「これはもう前に進めない、立ち止まれ」という直感(あるいは動物としての本能)が働いた。そして、立ち止まり、友人の肩を借りながら靴下を脱いでみると、足の付け根の部分のマメが大きく裂けていた。朝には赤ちゃん程度の水疱(マメ)だったものが、風船のようにぱんぱんに膨らみ、増大する水や体重の負荷に耐えられなかったようだ。

ついに、彼らの姿が見えなくなった。でも、追いつきたい、という思いが消えない。軽い足取りで巡礼路を歩いていった彼ら。どうして、楽しく歩けていたのだろう。そして、どうして私はこんなところでつまづいてしまったのだろう。

「こんな時にも、人と比較する癖が出てくるなんて」

そういえば、私は幼い頃から人と比べては、自分は何も勝てるものがない、と落ち込むことが多かった。昨今よく言われている「比較癖」が、私の幼き脳にプログラミングされていた。

かけっこはずっとビリ、クラスの中でもダントツで遅かった。習い事のピアノも上手く弾けない。習字もずっと下手なままだった。対して、同じ習い事をしていた妹は、よく先生に褒められていた。私の演奏や成果物を見てもらうときは、先生は「うーん、難しいよね」と、慰めか何か分からない決まり文句を言った。これは、習い事をやめるときまで言い続けられた。今振り返ると、あまり褒められた経験はなく、私には「頑張れ」と言ってきた。

中学生の頃から好きで続けていた、唯一得意と思っていた勉強も、高校生になると、いつのまにかできなくなった。同級生の要領の良さ、地道に努力し続ける才能を何度羨ましく思ったのか。優等生と思って、私を接してきた「先生」という存在は、とうとうその目で見ることはなくなった。

親にはテストの結果や成績表も見せることができなかった。同級生にも、私の頭の悪さを見破られるのが怖く、テストの点数は卒業した今のいままで、共有することはなかった。そして今、多くの友人は、もし私が手にしたら自慢してしまうくらいの、大きなキャリアを築き始めている。対して、私は、人の何倍もかけて選んだはずの、進みたい道に不確かさを感じたまま、人一倍遅れた卒業を迎えている。

悔しく苦い思い出がよみがえってくる。悔しさや比較は、時には大きな力をもたらすらしいが、私はそうもいかなかった。「比較癖」を持っていることを自覚していない幼い自分は、自分のコンディションというか、持っているものを一切顧みることがなく、遠い背中の友人や兄弟を追いかけていたと思う。時々、追いかけ追い越せ、という行為が空虚に思えることがあったが、当時はそこで立ち止まることを知らなかった。

成長するにつれて、私は競争することがはじめから向いていなかったことを、多少なりとも悟ることはあったものの、今でもその癖がでてくる。今回もそうだ。だが、いくら彼らに追いつきたい、あわよくば追い越したいと思っても、とうとう体がいうことを聞かなくなった。差はどんどん広がる、だからといって足の痛みはよくなるわけではない。

目的地が近づくほどに、痛みが増してくる。だが、幼い頃から「比較せよ」とプログラミングされた回路が次第に壊れていった気がした。

「比べる前に、まずは自分を顧みないといけない」

ーー

大人になる前に、矯正しなければならない癖だった「比較」という悪魔を、意図せず年だけ取ってしまった今、やっと、少しでも手放すことができたような気がしないでもない。幸か不幸か、ふくらはぎの鈍い痛みと、足の裏のマメによる鋭い痛みとともに。

友人の介抱のおかげで、午後4時30分、ホステルに到着した。

シャワーを浴びる時、マメの水疱が染みて痛かった。足の裏も、当然ながら全体が赤く腫れ上がっていた。立っているのもやっとで、髪を濡らすときに、意図せず涙がこぼれた。

今日は痛みに耐えただけの、道だった。

「このサンティアゴカミーノは、少なくとも私には準備されていなかったのかもしれない」

こう日記に残し、眠りについた。

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