こんばんは、まつながです。タイトルですが、いきなり何ですか、と思われたのではないかと。私も、いきなり何を思っているのか……と、よく分からずにいます。
タイトル通り、私にとって、詩は分からない世界の一つというか、単純に苦手です。とある詩に対して、どんなことを感じるのか?というのを共有するのが、自分の頭の悪さを露呈してしまいそう……と思っています。また、とくに中学の国語で、ある程度きまった解釈を強要されるというか。得意科目の国語のテストでは、詩だけがどうも苦手で極端に点数が低かった思い出があります。
が、今日の夜、うとうとしながら、突然、とある一句を思い出したのです。
「咳をしても一人」
という自由律句です。たしか、中学のときに習ったような気がしないでもない。ちなみに、自由律句というのは、俳句の「五・七・五」というかたちをとらず、自由に俳句を作っちゃいなよ☆ということで、かたちにこだわらないフリースタイル的俳句です。”☆”というノリかどうかはわかりませんが。
この一句は、尾崎放哉という、フリースタイルに生きた歌人が詠んだ句だそうです。中学の教科書に出てきたとき、雷に打たれたような衝撃がありました。もはや、これって俳句なのか…?と思わずにはいられない、まったくもってかたちをなしていない、俳句をつくるなら忘れてはいけない韻などが見当たらない、自由奔放さ。
なにより、たった9文字で”一人”がどのような人物なのか、はたまた咳をしたシチュエーションが一気に脳内に駆け巡らせてしまう。見た者を惹きつける強烈な引力。
ちなみに、私の脳内を駆け巡った、この一句の解釈は以下の通りです。
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椿が雪に埋もれている2月初旬の朝、珍しく晴れている。私はあぐらをかいて、七輪の中にある炭を眺めながら、この朝をゆっくり過ごす。今日も、何をしようか。いや、何もしなくてもいいか。そんなことを考える。雪見障子の外から見えるのは、雪がきらきらと溶け始めている様子だ。だが、やはり朝は寒い。こん、とのどの奥を鳴らしてみる。のどを鳴らしても、この家にいる誰も、自分を心配することはない。七輪で温まっているはずなのに、鼻頭が冷たくなってきた。
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切ない一句です。