第7回:私は日本人であることを悟る

サンティアゴ巡礼。それはキリスト教三大聖地の一つ「サンティアゴ・コンポステーラ」の大聖堂を最終地点とし、敬虔なクリスチャンが自身の信仰と向き合うために、仕事を捨て、日常生活からも離れて、歩いていくもの。1200年の歴史を持つが、現在はクリスチャンだけでなく、世界中の旅愛好家や人生に悩む人々が、こぞってこの道を歩く。
この連載では、そんな巡礼を「大学生最後の旅行」と題して訪れたまつながが、膝を痛めたり粗食に魅了されたり、はたまた24歳なりの悟りの一部を開く顛末を描く。(毎週金曜更新)

3日目に宿泊した場所は「メリデ」という少し大きめの街だった。

泊まったホステルのベッドのリネンが安っぽい柔軟剤の匂いがして、少々気になるものの、快適に過ごすことができた。サンティアゴの巡礼では、日毎に宿泊する場所を変えるのだが、オンシーズンの場合は1泊3ユーロから10ユーロほどで泊まれるアルベルゲ(ドミトリー式の簡易宿泊所)で泊まることが多い。アルベルゲに抵抗がある巡礼者や、オフシーズンの場合は、私設のホステルに泊まることになるが、ある程度の規模の町にあるホステルは、インターネットなどで事前予約することが可能だ。

このたび宿泊する部屋からは、静かな街並が見える。窓を開けると、2月下旬にもかかわらずカラカラに晴れていた。太陽光が肌をほんのり刺激する。前日に手洗いして生乾きだったシャツを干して、街を散策することにした。

ホステルの近くには教会があり、1時間ごとに時刻を鐘で知らせてくれる。午後3時、鐘がなる。教会にはささやかな広場があり、小さな子どもがチョークのようなもので落書きをしながら遊んでいた。

教会には鍵がかけられておらず、自由に出入りできそうだ。ステンドグラスのドアを開けて、中に入ってみる。

ライトの照らされていない蝋人形たち10体以上が各所に配置されている。全て聖書に出てくる人物たちのものだ。どの人形も笑っていない。どことなく雰囲気が重い。

そして、棺もあった。棺の中にも仰向けの蝋人形が。目を見開き、右腹が刺され血を流している。磔にされた後のイエスだった。おそらく絶命している状態を蝋人形にしたのだろう。

これまで何度か、キリスト教会に足を運んだことがあり、磔にされた状態のイエスの像も当然ながら見かけている。しかし、絶命後の蝋人形は初めてみた。それと分かった瞬間、ギョッとし私の体の中から力が抜けてしまった。どうして、このような絶命後の姿をわざわざ蝋人形にしたのか、よく分からない。

古来の日本では、「死」「血」などを穢れ(※)として忌みの対象とされている。現在の我々も、どことなく疎外すべきもの、という認識をしている。

そういえば、大学時代、主専攻の数学とは関係のない、わざわざ履修した哲学関係の、とある講義を思い出す。「たましい」についての講義だった。西洋における「たましい」とは、人間のみがもつものとされるという。一方、日本においては人間だけがもつのではなく、生きとし生けるものは等しくもつもの、という意識がある。とかいう内容だったような。このときは、「ふーん」と特に深く考えることはなかった。

だが、イエスの蝋人形を前にして、この蝋人形は、絶命後の魂が抜けた状態のものであることに、強烈な違和、拒絶を感じてしまったと思う。

これが、西洋と、日本人としての感覚の違いかもしれない。生まれてはじめて、文化のギャップを認識したと同時に、私は日本人であること、日本人としてのアイデンティティを突きつけられたような気がする。

その後は、すでになくなりかけた絆創膏を買いに、小売店に。小さなお店だったので、スーパーで購入するより、ちょっぴり値段が高い。購入後、レジ対応をしてくれた店主のおじいちゃんから「ブエン、カミーノ」と囁くように言ってくれた。やはり、この時期のアジア系は観光客ではなく巡礼者という認識なのだろう。

そして、ピザやパエリアなど早めの夕食を食べた。レストランに入る時に、ピザを頬張っていた観光客らしきおばちゃんに「ニーハオ!」と笑顔で挨拶をされたが、少々癪に障り、「No、コンニチハ!アハハ!」と言ってしまった。おばちゃんも、アハハっと笑った。

※穢れについての補足。おもに日本の神道において神の前に出られない不浄のもの、とされている。穢れは「気枯れ」とも書かれ、気が弱っている状態であることも説明されることが多い

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