サンティアゴ巡礼。それはキリスト教三大聖地の一つ「サンティアゴ・コンポステーラ」の大聖堂を最終地点とし、敬虔なクリスチャンが自身の信仰と向き合うために、仕事を捨て、日常生活からも離れて、歩いていくもの。1200年の歴史を持つが、現在はクリスチャンだけでなく、世界中の旅愛好家や人生に悩む人々が、こぞってこの道を歩く。
この連載では、そんな巡礼を「大学生最後の旅行」と題して訪れたまつながが、膝を痛めたり粗食に魅了されたり、はたまた24歳なりの悟りの一部を開く顛末を描く。(金曜更新)
4日目に泊まったのは、アルスア、という場所だった。
ホステルに向かい、昨日の洗濯物を持って行って、近くのコインランドリーに向かった。大きな洗濯機に、私と友人の洗濯物を入れて、スイッチを押す。
その後、近くのお土産屋にいき、私のパンティーを買う。
(番外編で言及したが、とくに考えもせず買ったパンティーは、のちに男性用のブリーフであることが明らかになる。)
ホステルでシャワーを浴びて、午後6時。この町の教会にいき、ミサを受けることにした。これまで足の痛さを理由に、教会に行くことができなかったのだが、さすがに巡礼中に、ミサを見ないのは先人たちにも失礼にあたると思いつつ、田舎町のミサにも興味を持ち、参加した。
ここは、巡礼路のなかでは最も大きな町だった。教会内部も200人以上を収容できる大きさ。ミサの前に、修道女がアコースティックギターを弾き、そのギター音に合わせ、最前列にいた、地元の高齢者から構成されているらしい聖歌隊が聖歌を歌う。
周りを見渡すと、顔見知りらしき地元の人々が挨拶をする。やはり高齢化は進んでいるそう。だが、この町の教会は、地元の人々にとってのコミュニケーションの場であることに間違いはなさそうだった。
ミサののち、教会全体を見学し、50セントほどのドネーションをする。
教会から出ようとしたとき、じいちゃんに捕まった。
「Where are you from?」
と言われ、
「From Japan」
と答えると、そのじいちゃんはパッと顔を明るくした。続けて
「Can you speak English?」
と聞かれたのだが、あまりしゃべれないけれど、まあいいかと思い
「Yes, um… a little」
と自信のない返事をした。OKと言われ、教会の外へ。
その後、自分がこれまで「コミュニケーションはハートが命」と思って英語の勉強をサボったつけが回ってきた。全く、聞き取れなかったのだ。いや、おじいちゃんの滑舌が悪かったと信じたい。
なんとなく、「ミサに参加してみて、どう思った??」と言われたような気がして、「教会の装飾は綺麗だった」と、小学生でも言える感想だけ残し、そのおじいちゃんと別れた。
なぜ、あのじいちゃんは私たちが日本人であることを知ると、ちょっと笑ったのだろうか。あの様子は嘲笑しているようでもなかった。もしかしたら、日本人が珍しかったのだろうか。そういえば、このサンティアゴの巡礼は、近畿地方にある熊野古道と何かしらの交流があるとか聞いたことがあった。
ちょっとした、日本人の精神性というか、内的なもの、たとえば巡礼に望んだ理由みたいなものを知りたかったのかもしれない。あのじいちゃんが博識であったのならば、日本人の神道の感覚を聞いてみたかったのかもしれない。
この際、「日本人の私からすると、絶命したイエスの蝋人形があることに驚いてしまった。あなたはこれについて、特に何も思わないのか」とかカルチャーショック的な感想をいえば良かったのかも。自分がこれまで英語を勉強できなかったばかりに、コミュニケーションの機会を、過去の自分が奪ってしまった。
やってしまった……
わずかなる心のしこりを残し、夜はガリシア料理店でご飯を食べることにした。
このお店では、地元の老人がやってくると、ワインやおつまみ程度の軽い食事を出すのだが、ひとたび巡礼者だとわざわざランチョマットを用意してくれた。
ちょっとよそ者扱いされているな……
とか思ったのだが、後からこのランチョマットは、メインディッシュを食べたお客が帰ったあとに、汚れごと捨てて、掃除の手間を省く効率性を重視したゆえのものだった、ということを悟る。
ここでは、ガリシア料理のイカリングフライと白身魚のフライを食べた。
食事も終盤に差し掛かったところ、父親と高校生の息子らしきアジア人の親子2人が来店した。話す言語を聞く限り、日本人ではなさそう、韓国あたりだろうか。
その直後に、アメリカ人らしき20代の男性が来店。この2組は顔見知りのようだった。
我々が帰ろうとしたとき、高校生がなんだか話しかけたそうにしていたので、目配せをしてみた。いいよ、話しかけてみても。
それを悟ったアメリカ人が「どこからきたの?」と聞かれて、「日本から」と答えた。その韓国人らしき親子は、これで顔見知りになれたといわんばかりの笑顔を、私たちに向けた。
そういや、この巡礼でアジア系をほとんど見かけることがなかったな。確かに、我々はヨーロッパ地域からみると、明らかに異邦人だ。あの親子を見かけたとき、なんとなくホッとしたような気分にもなったので、私もきっと、どこかあのアジアを懐かしんでいたのかもしれない。
アメリカ人男性は大きな声で「ぼくはシェフでお店を持っている。世界中の料理をこうして歩き食べをしているんだ。東京にも行ったことがある。寿司、ラーメンとか」
彼の話が延々と続きそうだったため、そそくさとお会計をして、外に出た。
急にデザートを口が欲し、友人も同意してくれたため、夜遅い時間まで空いているカフェでアイスとコーヒーを頼んだ。
満腹の状態でホステルに帰る。寝る前に部屋にあるテレビをつけてみた。LGテレビ。韓国製。どのチャンネルを回しても、ドラマかワイドショー、またはクイズ番組くらいしか流れていなかった。
何気、旅途中で好きな時間は、こうした寝る前なのかもしれない。日記をつけて、眠ることにした。